貴族は恥の文化

抱えきれない問題に直面すると、画面に向かうようになる。


人の気持ちはよくわからない。自分の気持ちもよくわからないのに。
よくわかる自分の気持ちの最たるものは、「この人は何を考えているのか」。


気の持ちようというのは、自分自身をこんな気持ちにする状況に追い込んだ
また自分自身に対するモラルなのではないのか?
モラルは価値観だ。
どうして高潔でいようと思わない?
他人に対して高潔であろうとすることは、自らを殺すことに他ならない。
どうして潔く死を選ばないのか。貴様の人生にどれほどの価値があるのか。


「自分が楽しむことで生じる他人の不快感」と「自分が楽しまないことで
生じる他人の不快感」がイコールであるわけがない。
ただし、自らが高潔でいられないときもあるだろう。
そのときはただ、恥じればいい。
それがモラルというものである。

戯言

さて、聖火リレー動画も一そろい、という感じでしょうか。
まぁなんというか今までのデモ動画や意見と大幅に変わることはないのですが。
チベット側(あえてこう言っておく)を少数危険分子と見ている警察等の態度も、
今までの国の例から理解できるけれど。衣食足りて礼節を知るのだけれど。


リレー沿道があんなんで良心は痛まないのかな。