貴族は恥の文化

抱えきれない問題に直面すると、画面に向かうようになる。


人の気持ちはよくわからない。自分の気持ちもよくわからないのに。
よくわかる自分の気持ちの最たるものは、「この人は何を考えているのか」。


気の持ちようというのは、自分自身をこんな気持ちにする状況に追い込んだ
また自分自身に対するモラルなのではないのか?
モラルは価値観だ。
どうして高潔でいようと思わない?
他人に対して高潔であろうとすることは、自らを殺すことに他ならない。
どうして潔く死を選ばないのか。貴様の人生にどれほどの価値があるのか。


「自分が楽しむことで生じる他人の不快感」と「自分が楽しまないことで
生じる他人の不快感」がイコールであるわけがない。
ただし、自らが高潔でいられないときもあるだろう。
そのときはただ、恥じればいい。
それがモラルというものである。