近代史は嫌いでした。てゆかわかりません

 近代史とそれ以前の歴史は分けて考えるべきだと思う。
たとえば、100年前から今現在までを「近代史」それ以前を「歴史」。


 高校までの歴史の勉強というのは、現在に近くなればなるほど覚える量が増える。
今から10年経てばまた10年分の「歴史」を覚えなきゃならんわけだ。
これって何か変だ。これって歴史か?


 違う、これは「近代史」なんである。
現在の情勢を知るためには10年前からの流れを知っている必要がある。
10年前の情勢を理解するためには20年前の事件を知っている必要がある。
20年前の・・・とさらに続けていって、現在の世界のおおよその成り立ちを感じることが「近代史」の役目ではないだろうか。
そしてその「近代史」は100年間も網羅すれば十分であり、その期間が変わることは無い。
(2000年には1900〜2000年までが「近代史」、2100年には2000〜2100年までが「近代史」)


 では、それ以前の事件についてはどうか。ここで「歴史」の登場だ。
「近代史」が事件を追って現在起こりうる事件を推測するのに対して、
「歴史」ではより文化的、思想の背景などを理解するのがよい。
自国の成り立ちや文化を紐解いてみるのもいいかもしれない。
(あくまでナショナリズムを善だと捉えた場合に)


 このように「歴史」「近代史」は分けることが可能であり、そうすべきものだ。
両者に繋がりが無いとは言わないし、どちらかを疎かにしていいとも思わないが、
少なくとも学ぶ側にはまったく別の観点が要求されるものであると言える。


 歴史を普遍だと定義するなら、高校までに重点的に教えられるべき歴史は「近代史」なのではないだろうか。
「歴史」に比べ「近代史」のほうが思想が入り込みにくく、また、社会人としての知識が蓄えやすい。
知識として重要だとされる「歴史」のほうが個人の意思によってコロコロ変わるのは皮肉なものである。
そんなもん、怖くてコドモに教えられんでしょ。


(追記:もちろん変わらない「歴史」があるならそっちを教えた方がいい。万人共通の知識として機能するだろうから)