言葉ではないSF

あなたは、ブラインドタッチが出来ますか。
あなたは、電車の吊革を見ずに掴むことが出来ますか。
あなたは、玄関から目をつむってベッドにたどり着くことが出来ますか。


光年、という単位がありますよね。1光年は光が一年で進む距離、つまり約10兆kmをあらわします。
これはまさに「想像も付かない」距離なわけですが、では、4万kmなら想像が付きますか?そうです、これは赤道の全周です。
じゃあその40分の1、100kmでは?東京−沼津くらいですね。そろそろ想像が付くでしょう。
しかし、その「想像」は本当に現実的でしょうか。


人間は距離を目で測るようにできています。目を瞑って歩けるひとはそうそういないはずです。
しかし暮らしの中で日々繰り返される一定の距離は、実際に目で見なくても体が覚えていることが多々ありますね。
これは「体に染み付いた距離」というもので、「どれだけ体を動かせばどれだけの距離を
移動することができる」という正確な情報です。*1
例えば「車で20分の距離」や、「飛行機でたった二時間の距離」といったものよりずっと正確に
認識することができ、また表現することができます。


さて、この「体に染み付いた距離」で、50mの距離をイメージしてみてください。
目で見える先が50m地点だという意識ではなく、自分の立っているところから50m進むとそこが50m地点だという意識です。
わかりにくい言い方ですが、自分を中心にイメージをすることが正確な距離の認識には不可欠です。
さてこのイメージを肉眼では見えないところまで広げていったらどうなるでしょう。
100m、1km、10km・・・そろそろイメージしにくくなっているはずです。
そう、「想像が付かなくなる」のです。
しかし、その「想像が付かなくなる」手前の距離のイメージは非常にリアルです。
そのリアルなイメージを持って、いろいろな距離を再認識する必要があると思うのです。
意外に空が高くないことに気づくでしょうし、時速100kmのストレートは早いと感じてしまうでしょう。


人間は刺激に飢え、どんどん「数字」を大きくしてインパクトを稼ごうとするものです。
しかしそんな見せ掛けだけの文字だけの数字より、自分の持つ確固たるイメージで想像したものに感動すべきです。
スケールの大きさ、というのは数字の問題でなく、個々の認識をどれだけ引き摺れるかにあるのでしょう。
イメージを大きく拡げるみてください。
自分の認識が見せ掛けかどうか、確認してみてください。

*1:距離感は距離も感覚も個々のものであるから