ふと手に取った古本。(ややバレ)

大槻ケンヂオーケンの散歩マン旅マン」。
ISBN:4101429251


 読み始めておどろいた。この本、書き込みがしてある。赤青緑のおそらく4色ボールペンで、要所要所に傍線が引っ張ってあるのだ。ううう、ちくしょう、あの古本屋もう行かないぞ。230円も取りやがって。(あとで値札を確認したら、「¥230」というタグの下にもう一枚タグが隠れていた。「¥260」だった。ぐぬぬ、あの店にはもう行かないぞ。)


 古本の書き込みはままあることとは言え、よりにもよって何故、オーケンのエッセイなのだ。冒頭部分では、「小林旭から影響を受けている」に赤線。「根底にはいつもアキラの存在がある」に青線。「刷り込み」に丸印。ナンダコレ?
 ううむ、察するに、オーケンの思想体系にシビレちゃったガキんちょが「僕もオーケンになりたい!」とそのルーツを探って小林旭のレコードを手にとろうとするまでの軌跡だろうか。それとも、高校生がサイトかなんかに「大槻ケンヂ論」をぶち上げるための下調べだろうか。はたまた、中学生が無謀にもYondaオススメエッセイで読書感想文を書こうというのだろうか。
 読み進めているうちに、また傍線に出会った。「決してチャルメラが来たわけではない」オーケンのボケを逐一拾っているのか?イヤガラセだ。


 エッセイ自体はいつものごとく、「のほほん、のほほん」と進んでいくのだが、「ツアー編」に入ったあたりで様子がおかしくなる。音楽のことを書いているはずなのに、どうも文章に陰鬱さというか、閉塞感というか、そういったものが漂いまくりなのである。それもそのはず、この「ツアー編」は筋少の最後のツアーのあいだに書かれたものだったのだ。オーケンは結局、筋少を「凍結」することになるのだが、文章中では未だ煩悶していて「のほほん」エッセイには程遠い。あとがきでオーケンは「どんな時でもパカッと開いてサクサク読んでいただけることと思います」だなんて言ってはいるが、だまされて読んで大変な憂き目(まさに憂き目である)に遭ってしまった。ううむ。


 どんどん読んでいたので気づかなかったのだが、この「ツアー編」には、例の傍線が無い。あぁまとめるのが面倒くさくなったのだな、などと読み進めていたら、次章「しみじみ編」ではキッチリ書き込みが。
 「しみじみ編」でオーケンは、逃亡中の友人に会いに行った冬の新潟あたりの日本海で人生やめたいなァそうだよなァと疲れ切った会話を繰り返し、女とブースカのぬいぐるみを比べてブースカに癒されたフリをしてみたり、末期ガンを抱えて闘病中だった池田貴族とモソモソとプリンを食べながら「いてーんだ、アハハハ」と曖昧に笑って見せたりしている。そして章の最後に女の子の字で小さく書き込みが。
「切なすぎて胸がつまる」。書き込み主は女の子だったのか!


 つまり仮説123はどれも外れで、オーケンのためにニーソックス履いちゃおうかなえへへファンの書き込みだったのだ!そして、小林旭のレコードを買って読書感想文をサイトにアップするのだ。あ、仮説は外れてないじゃないか。


 その後、書き込みは一部を除いてされていない。その傍線の引かれた一文はこうだった。
「オレは表現の場において素っ裸の己をさらけ出す義務を持つロッカーなのだ」
書き込みを続けた少女は、ここにロッカーオーケンの生き様を見る。ちなみにその後のオーケンの文章も紹介しておくと、
「−−オレは女装するならば、山田まりやとか、昔の菊池桃子みたいなふっくら可愛い子ちゃんタイプに変身したかったのだ!」
単なる性癖吐露であった。


傍線の理由はやっぱり仮説4の「オーケンのボケを逐一拾っている」であったのだろうか。そして読了、ごちそうさま。