日記療法に異を唱えていあ!いあ!

ネットであったひとと、実際にあってみて、がっかりすることってのはたまにある。じゃあ逆に、実際それほど仲良くなかったけど、ネットでは仲良くできそうなひとってのもいるんじゃないか。
オフ会等でがっかりしちゃう理由は、単純に「サイトほどおもしろくないひと」だったり、「ひとづきあいの下手なひと」だったりするわけだ。前者は顕在化での期待はずれ、というやつだが、実際は「ネットとは全然違うんですね!」という好意的な意見もあることだから、がっかりされる側は単に「ひとづきあいヘタレ系」なんじゃなかろうか。


さて、会話というのは情報伝達の手段である。ネット(サイト・チャット・BBS他)での係わり合いというのも情報伝達である。しかしどれも過不足なく情報を伝えることは不可能である。「伝えやすい」「伝えにくい」という側面はあっても、デジタルに100-100というわけにはいかないのは当たり前のことである。ゆえに、がっかりされる側は、サイトでの情報をうまく会話に発展できなかった*1ただの口下手さんだ。逆に、リアルでアレなひとも実は口下手さんなだけで、ネット上では仲良くできるかもしれんのだ。そこからまたリアルに発展することもあるかもしれないし、またないかもしれない。
情報伝達の過不足という面では携帯の「メール」と「通話」がわかりやすい。「用件がはっきりしてるからメールで」というやつもおれば「だらだらメールする」というやつもおり、「どうしても長電話になる」というやつもおれば「電話だと一瞬で楽じゃん」というやつもおる。これは携帯電話に限った話ではなく、逢って話すほうが楽なのかメッセがらくちんなのか、PCメールのほうがいいのか携帯メールのほうがいいのか。それぞれの情報手段にさまざまな側面があり、使い分けられている。


このように、情報伝達手段が発展した時代では、その一面から漏れてコミュニケーションが阻害される人格も生じうるのではないか。その人格を掬い上げるのはやはり人間だ。なぜなら、情報伝達の手段は既にいくらでもあるのだから。




と、それっぽく締めておいてなんだが、「作品は認めるがあいつは気に食わん!」という事例もあることに遅まきながら気づいた。ええとそれはきっとどっちかがツンデレなんです。



[追記]
この会話の情報の齟齬ってモンが、渡辺謙トムクルーズが何故かわかりあってた「カンバセーション」の妙なんじゃないのかな。という話にするはずだったのにえらく逸れた。
もういい、びしょびしょカブトムシ食い倒れツアーでカンバセーション歌ってくる。

*1:サイトが一面的で会話が多面的だという指摘は置いておく。なぜならどの情報伝達手段も等しく不十分だからである。