理解に苦しむ

■<お葬式>カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060216-00000066-mai-soci


うーん、理解できない・・・。記事中にある『5〜6人が撮り始めた』というのは、おそらく誰かが始めて「じゃ私も」と連鎖したんで絶対数は少ないかもとおもうんですが、図らずも写メや使い捨てカメラという「カメラの個人化」の概念*1が端的に現れてて興味深いですね。


さて、どんな理由が彼らにデスマスクを撮らせるんでしょうかね。単純に死生観の変容、ともおもったんですけど、言われるほど変わるものじゃないですよね。「穢れ」の概念だって、その故人に近けりゃあんまり関係ないし。
ボクはツールに問題があるとにらんでいます。つまり、「写メ」「デジカメ」という基本的にファインダーを覗かない「カメラと呼べないカメラ」。現像後の写真が既に画面に写ってるわけですから、従来のカメラの言葉通りブラックボックス的な神秘性はなくなってしまいます。そうするとそこに隠れている「畏れ」が霧散してしまう。
強引に言うなら、「写メやデジカメに心霊写真は写らない」と感じてしまうのです。ここに軽い気持ちでデスマスクを撮らせる理由があるんじゃないかとおもいます。


しかし、携帯のデータフォルダに死体写真があるだなんて、ぞっとしないね。




[リンク]
■最期のポートレート http://ramblefish.exblog.jp/2316790
写メに絞ったこのエントリとはあんまり繋がらないけど、「哀しみとともに最期の写真を撮る」、こんな考え方もあるんだ。

*1:写メは本来携帯同士でやり取りされるハズなのになかなかそうならないのはおもろい