国家vs教師とその裏に隠されたなんやら

■人名漢字で「矜持」使えず、小学教諭が国家賠償提訴
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040927-00000312-yom-soci


またアホ教師が・・・『国が人名に使える漢字を制限しているのは表現の自由を保障した憲法に違反する』とか言ってるようですが、そもそも人名漢字というのは、それが正しいかどうかはさておき、特に子供にとって平易でわかりやすいものが望まれて制定されているわけですよ*1。それをよりにもよって「表現の自由」を振りかざして国家賠償を求めるとは不可解です。本当に本職は教師なんでしょうかね。(ちゅか、矜持って名づけようとする意識がまずアレじゃ・・・)


「矜持」が認められなかったこの教師は息子の名前を「協持」として提出したらしいです。一字変えただけです。この息子ってのは次男なわけで、「恭二」とかそれらしい名前にすることもできたんですが、「協持」。アタマわるい。子供もいい迷惑です。
(誤解かもなので追記。この「協持」の「協」という字には特に意味は読み取れず、最初から「矜」持と名づけたかったけどできなかったよちくしょうという意図が含まれた名前と読める。つまり変更申請が織り込み済みで、それが却下された場合、不完全な名前になってしまう。子供自身はその名前を一生*2背負っていかなければならないことを考えるに、如何に「矜持」と命名したくともその変更が確実でない場合、親はリスク回避責任をもって、どちらに転んでも子供が堂々と名乗れる名前をつけるべきだ。それとも子供に「お前はほんとは矜持という名前なんだよ」と言い含めるつもりだったのだろうか。・・・たぶんそうなんだろう。)



しかしながらこの人名漢字の根本的問題は未だ解決されていないわけで、教師を責めるばかりでもまたいけません。そもそも「矜」という字を選考に入れたのかどうか。「矜持」が絶滅した言葉でもないでしょう。「矜育」もgoo国語辞典にさえ載っています。「矜」という字にマイナスイメージがあるので省くというのであればまぁ筋は通っています*3。しかしながらその選考もされなかったというのであれば、これはやはり法制審議会人名用漢字部会の手落ちであり傲慢であると言うことができます。


今回の人名漢字の追加は概ね好評をもって迎えられているようですが、今回の訴訟や「遙と遥のような異体字と標準字を同格として扱う」という正字論争への先走った回答と成り得る決定は、まだまだ波乱を呼びそうです。これを期に常用漢字の見直し、正字体のある程度の復権論議されることは間違いありません。そういった期には是非、以前述べたように「お役所の杓子定規」で事を決めていただきたい。デリケートな問題は(使用頻度などの)数字で線を引かれるほうが傷が浅くて済みますからね。此度の中途半端な決定が一番よろしくない、と力説しておきます。

*1:読み仮名を自由にしていい、という矛盾も抱えてはいる。

*2:少なくとも自分で名前の変更を申請できるまで。まぁ時間の長さの問題ではないが。

*3:マイナスイメージで人名漢字を取捨選択しようとする傲慢がそもそも気に入らないのではあるが。